香料の原点を訪ねる旅 FRANKINCENSE ROAD~乳香の道~
2017.12.22 TEXT by Kaoru Sasaki人と香りとの関わり、それはいつ頃から始まったのでしょう。アロマテラピーのルーツはエジプト、メソポタミアの古代文明にも遡るといいます。神殿では香が焚かれ、儀式には欠かせないものでした。
その源流を探り、たどり着いたのが「乳香」です。
香りが古代の生活の必需品だったとするなら、それは時代と繋がっていたからといえます。いったいどんな世界がそこにあったのでしょう。
その答えを探しに出かけました。
エジプトの薫香
「香り文化のルーツ」といえば先ず思い浮かぶのが古代エジプトです。神殿や王墓、葬祭殿など数多くの遺跡で、ファラオ(王)や貴族たちが、 神聖な場で、華やかな宴会の場で香りを用いた様子を知ることができます。古代において香りは、神の領域と交信するための手段であり、その身を清めて神格化するものでした。ファラオたちは競って香を求め、焚香を捧げたといいます。
ハトシェプスト女王葬祭殿には乳香の木を描いた壁画があります。新王国時代第18王朝ハトシェプスト女王とは、古代エジプト唯一の女性ファラオ(王)。彼女の治世はエジプトに平和が続いた時代でもあり、貿易に力が注がれ、 それを象徴するのがこの葬祭殿に描かれた「プント交易図」です。遠征の規模の大きさを表わす壁画としても有名ですが、プント王国からの貴重な贈り物として、「乳香の木」がはるばるエジプトへと運ばれてきた様子が生き生きと彩色で 描かれています。儀式には欠かせない薫香が乳香であり、王にとってそれを確保することこそ、自らの神聖化のために最も重要だったのでしょう。
「香は自らに代わり神に近づく手段であり、神と人間との仲介者である」と考えた古代エジプトのファラオたちは、神殿に香を捧げ、また来世でも同じ生活ができるようその姿を墓や葬祭殿の壁画に数多く残しています。神を崇める時、身を清める時、香は神聖な時間、神聖な場所には欠かせなく、香の煙こそが神であるような、至聖な存在でした。
乳香以外にも親しまれた香り
古代エジプトでは宗教儀式には必ず香が焚かれ、ミイラ作りにも欠かせない存在でした。しかし、エジプト人にとって香りは、神聖で、神と同等の存在であると同時に、華やかで楽しいものでもありました。乳香や没薬のように単独で用いるだ けでなく、「キフィ」や「ティリアック」とよばれる軟膏があり、どちらもいくつかの芳香植物をブレンドし、ワインやハチミツ、樹脂などと練りあわせます。これらは薫香のように焚いたり、解毒剤のような薬としても使われました。その処方は ディオスコリデス、ガレノスといった古代ギリシャ、ローマの医師たちによって紹介され、中世、そして現代にもその一部の処方が受け継がれています。
バドル氏インタビュー
エジプト外務省事務次官・前駐日エジプト大使、ヒシャム・バドル氏にお話を伺いました。「エジプトの土壌は汚染されていないので、有機農法の可能性がある。環境に対する意識が高い日本の方とできることを考えていきたい。」とバドル氏。続けて、 エジプト人の香りの楽しみ方をうかがうと、「朝、神への祈りと幸運を祈願して家中に香りを焚きしめます。各家庭の伝統の香り、伝統のやりかたがあります。モスクに行く前には、香りを体につけていきます」。やはり香りは生活に浸透していました。
乳香の故郷 オマーン
神殿で最も高貴とされた香、「乳香」。その乳香をソロモン王に大量に贈ったというシバの女王。シバ王国の人々は、乳香の森は翼を持った蛇に守られ、決して人を寄せ付けないと言いふらし、人々が求めてやまなかった乳香をあくまでも神秘のベールに 包み隠したといいます。さまざまな伝説にあふれる乳香の森をこの目で確かめるため、オマーン南部の都市サラーラへと向かいました。荒涼とした山を車で数時間、辿り着くのが、「乳香の谷」です。谷は「ワディ」とよばれ、雨期には川となる一帯。その流れに沿うよう、乳香の木が静かに枝を広げていました。
多くのエピソードを持つシバの女王ビルキス。実は女王の宮殿がどこにあったか、女王が実在の人物だったかさえ、明らかではありません。しかし、オマーン南部のドファール地方がシバ王国の支配下にあったことは確かで、香料の国シバに
関連する遺跡がサラーラ周辺に数ヶ所あり、「FRANKINCENSE TRAIL(乳香の道)」として世界遺産に登録されています。
この地域一帯で収穫された乳香は王国の港に集められ、海路を通ってエジプト、ギリシャ、ローマ、そしてインド、メソポタミアへ、陸路を通じてイスラエルへと運ばれ、世界中の文明を潤しました。
Frankincense
[フランキンセンス]
学名:Bswellia carterii/Bswellia sacra
カンラン科ボスウェリア属 落葉性喬木
「真の薫香」の意味を持ち、別名は、乳香、オリバナム、ルバーン。乳香の木から採れる樹脂を利用します。
神様からの贈り物といわれる神聖な乳香の木。現在は国の所有ですが、管理は代々この木を護っている「ベドウィン」とよばれる砂漠の民達に任されています。
ベドウィンのムッサム氏(写真)曰く、「一年中採集できるが、最も収穫量が多いのは3月から5月頃。砂漠に近い乾いた土地ほど質のいい乳香が採れる」
乳香の品質は、最上質「アル・ホジャリ」、高原地帯で採れる「ナジェディ」、山と砂漠の中間地帯で採れる「アシャズリ」、日常的に使われる「アジャビ」の4つに主に分けられます。
【主要成分】精油(α - ツエン、サビネン、リモネン、α - ピネン、p-シメン、カリオフィレン酸 他)、樹脂、ゴム質
乳香を求めて
- 限られた人だけに許されるという乳香の採集。専用の平たいナイフ「マンカフ」で木の皮を薄く削り取ります。
- 皮を削るとのぞく緑色の木肌をさらに剥がすと、茶色の肌があらわれます。削ったところからはじわじわと白い樹液がにじみ出て、これが乳香の樹脂です。
- 約1、2週間すると、白い樹液は涙のしずく状に固まります。固まったところを、マンカフで丁寧にそぎ落とします。マンカフで傷ついたところからまた樹液がしみ出し、それをまた収穫するというように、作業は約1ヶ月間続きます。
- 1週間たった樹脂はまだ少し柔らかく、ミルキー飴のよう。匂いはまさに乳香ですが、フレッシュでシトラス系の香りがほんのり漂います。
今も生活に根づく乳香
産地であるサラーラの町にはインセンス市場があり、乳香を専門に扱う店も並びます。夕刻、この町には香を焚くための時間があり、人々は家中に香りを焚きしめます。おもてなしとして、紳士、淑女の嗜みとして、邪悪なものから身を守る魔よけとして、焚香は今なお生活に欠かせない存在です。
- 香料好きは現代の市民にも引き継がれ、香料商の店の棚にはたくさんの香水瓶が並びます。
- 朝の神聖な儀式として、香炉を手に各部屋をまわり、香りを燻らせる習慣はとてもおごそか。
- 他人の前では全身を黒いベールで包むオマーン女性にとって、おしゃれは唯一覗く目と手先。美しいタトゥーやネイルにはヘナが愛用されています。
- シーツやベッドカバーに香を焚きしめる様子は、まさに日本の伏籠です。香りの伝統が守られています。