日本文化の発展と共に育まれてきた香り文化。その一方、香りはひとつの産業として、生活をうるおし、町までをも生み出しました。
北海道入植の歴史を支えたハーブ、「薄荷」です。
かつて世界の薄荷市場の7割を制したという北見薄荷。北見の町には、先人たちが掲げた薄荷の浪漫が今なお語り継がれ、その生産と歴史が守られています。
薄荷の収穫期は9月初旬、花が3分の1ほど咲き始める頃です。畑を訪ねたのは8月下旬。まだ花も1分 咲きといったところでしたが、この後の2週間で丈もぐんと伸び、腰に届くほどの高さになるとか。 北の地では暑さもひと段落し、朝夕は肌寒くなる頃です。ツンと鋭く鼻をつく薄荷の香りに、身も 心も引き締まります。
Hakka
[薄荷]
学名:Mentha arvensis
シソ科
薄荷やペパーミントに共通する、スッと鼻が通る清涼感。その正体はメントールという成分です。中でも薄荷、ジャパニーズミントは、数あるミント類の中でもその含有量が多いことで有名です。
19 世紀、シーボルトがヨーロッパに紹介し、日本の薄荷「和種薄荷」が広く知れ渡りました。そのメントール成分の含有量は、全体の65~85%にもなります。薄荷は
平安時代の書に「波加(ハカ)」の名で登場し、栽培は18 世紀( 江戸時代) 頃から始まっています。昭和30年代のピーク時は世界の生産量の約7 ~9割を占めたほどでした。
精油を採るため、さらにはそれを冷却して再結晶させた「薄荷脳」を採る目的で生産されました。薄荷脳は薄荷油と共に日本薬局方にも掲載され、医薬品、歯磨き、菓子、飲料、
タバコ、香料、化粧品など、幅広い用途に活用されています。
秋は「薄荷蒸し」の季節です。
蒸留後の薄荷は、まだ湯気の上がる内、そのまま畑に車で運ばれ、堆肥にされます。
まわり中に香りが蔓延し、かつて生産が盛んだった頃、蒸留の
時期は薄荷を積んだトラックが行き交い、町中が薄荷の香りで
溢れていたといいます。収穫し、干して、蒸留までが農家の仕事でした。
北見と薄荷の歴史をたどる ~北見ハッカ記念館をたずねて~
「薄荷といえば北見」というほど、北見の町は薄荷で有名ですが、初めて薄荷生産に成功したのは
岡山県。1817 年に記録があります。その後広島、山形と広がり、やがて北海道へ。
北見地方で最初に栽培したのは山形からの屯田兵で、1900年代初頭のことです。北見が薄荷の町に
なったのは、気候が適していたこと、開墾したての地にも作付けできたこと、他の農産物の6~10倍と
高収入が得られたことなどが理由です。
戦後、岡山地方の暖地薄荷に対し寒地薄荷の品種改良も盛んに行われ、「まんよう」「ほうよう」
「すずかぜ」などの品種が生み出されてきました。中でも「ほくと」は採油率の高さを求めて改良
されたものです。記念館の前に各種植えられ、鼻と目で比べることができます。
北見地方は薄荷の大生産地となり、町は栄え、蒸留釜も改良が進み、「田中式蒸留器」が開発され、世界的にも注目されます。
1933 年ホクレン北見薄荷工場が建立され、精油生産が本格化。1939 年、全国の薄荷作付面積が2万3千町歩だった時、北見は2万町歩で、北見の精油生産が世界市場の7 割を占めたのもこの頃です。
その後、合成のメントールの登場、貿易の自由化などの打撃を受け、生産は衰退、工場は継続が困難となり閉鎖されることに。しかし、「薄荷の文化は北見の財産」という強い思いから、建物その他史料が
北見市に寄付され、「北見ハッカ記念館」として保存されています。